1000日のプラン

1978 – 1980

海外へ住むための準備

1000日のプランというのは3年計画の日本を去る準備です。当時の高校の美術教師の生活がのんびりとしたものでした。教室で教えるのも楽しかったし、田舎ではお金を使うところもなかったので貯金も貯まりました。40日あった夏休みには天竜峡の彫刻の村で彫刻や焼物制作をして過ごしました。他の年にはメキシコの遺跡を尋ねる旅や、この1000日の計画を立ててからはアジアへの旅行を毎年のようにしていました。それは単純に他の地へ行ったら日本の近くはかえって遠くなると思ったからです。 外国に基地をかまえてそこから更にどこかへ旅を進めて行く - 最初はその候補地として南インドのマドラスから200km南にある村、オーロビルを考えていました。理想的な町を建設しようという目標のもとに世界中から人々が集まっていて、いいエネルギーがある国際的な村でした。 さて外国に住むとなると僕のブロークンイングリッシュでは足りません。その他に既に勉強を始めていたスペイン語とフランス語を加えて、3ヶ国語の会話の勉強を毎日の課題にして1000日間続けました。 そして最も大事な専門の美術です。3年間毎日描いてたどり着いたのは水遊び的表現です。水が自然に形を作ってくれる。無理せずにかってにどんどんできていく、といったものです。

1974 ヨーロッパへ2ヶ月の旅行 - 希望を見出せず帰国
1975 メキシコ、アメリカ サンフランシスコへの2ヶ月の旅行。スペイン語が通じた!素晴らしい!
1976 2ヶ月のインドへの旅行 - 夢を見つける
1977 2度目のインド旅行 - 旅行だけでは足りない!外国に住みたい。

1978

 

自分の夢にハードルを設定する - 語学の勉強と美術の制作を1000日間毎日続ける。”もしこの課題を達成できたら、仕事を辞めて外国へ行ってもよい”と自分自身と約束する

 

1外国に基地を持つ

インドのポンディシェリにあるオーロビルが当初の候補地だった。国際的で新しいエネルギーに満ちた当時のオードビルで理想的なまちづくりにアーティストとして参加することもできたかもしれない。しかし最終的に、世界中から移民を積極的に受け入れていたカナダが僕の新しい国になった。

 

2語学のスキル

英語とフランス語、スペイン語の会話にフォーカスし、カナダへ渡った後もこの3カ国語を学校で勉強を続けた。1987年にモントリオールからバンクーバーへ移住すると、残念ながらフランス語を使う機会が無くなり徐々に忘れてしまった。

 

3独自のアート表現を模索する

1000日のアート表現の模索の後、外の世界に行ってみたくなる。自分自身の内面的な世界を探索するために刺激とエネルギーが必要だったので、モントリオールのコンコルディア大学で大学院生になれたことは素晴らしい機会だった。

 

エローラ仏教遺跡での瞑想 1975年

モントリオールのコンコルディア大学ブルジェットビルディング内のアトリエ 1983年

バンクーバー、メインストリートにあるベルヴェデーレコート内のアトリエ 1988年

作品

版画

絵画

墨絵

ファブリック

インスタレーション

ドローイング

アートと旅

インド 1997

メキシコ 1992

カナダ 2004

1000日のプラン

ミャンマー 2012 & 2019 

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